神戸YMCAは、すべての活動を通して「YMCAの願い」にあらわされた大切なことの実現をめざしています。今号では「自分のいのちとみんなのいのちを大切にする」ことの実践を、ひとつの現場を通して見てゆきたいと思います。記者は夏のある日、YMCA保育園を訪ねました。
「食育と、いのち」
主役は子どもたち
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お友だちといっしょに食べる場には、人を育てるすべての要素があります |
「感謝していただきます」
YMCA保育園のお昼ごはんの時間です。4人ずつがひとつのテーブルを囲み、自分たちで整えた食卓が準備できると食前のお祈りです。与えてくださる神様、準備してくださった先生やさまざまな人への感謝と、この食事が自分の心と体の力になるようにという願いが、子ども自身の言葉で祈られてゆきます。 ここでは全員一斉にではなく、テーブルごとに食事が始まっていました。異年齢の友だちと互いに目の届く距離で「家族のように」お昼を共にします。記者も飛び入りでいっしょに食べさせてもらいました。
「何歳?ぼく4歳」「これちょっとすっぱいけど、おいしいで」「ぶどうは1人3個でな、あそこから自分で取ってくんねんで」いろんな会話が飛び交います。食べることの主役が子どもたちであることが自然に伝わってきました。
栄養士の石田由紀先生、田村麻衣子先生、西山実希先生、主任の山ノ井景子先生に、園の食育についてお話しを聞きました。
食べることは生きること
YMCA保育園では「食育」と言われ始めるずっと以前から、《食》を保育のひとつの柱にしています。
「自然なリズムでおなかが空き、おなかが空いたら楽しく食べ、さらに食べることに興味と関心を持つ子ども」に育ってほしい。YMCA保育園の「食育」では、この目標を持って年間計画が立てられ、畑での栽培や食堂の環境設定、クッキングなど具体的なプログラムが組まれています。
「食育の背景には、現代日本の社会における《いのち》への危機感があります。生きるためのもっとも根本的なところ、食べることもそのひとつです」
「日本でも貧しさのために栄養不足となり、子どもたちの成長が難しい時代がありましたが、現代の日本では、豊かさゆえに栄養が偏ってしまい、別の問題が出てきています」と先生方は言われます。
確かに、過剰な食べ物が競って「消費」を呼びかけ「いのち」が求める本当に「必要なもの」でなく「好きなもの」だけを選び続けることが可能。身体の健康に不適切なものもあふれています。
栄養面だけではありません。 「寝るのが遅くて起床時間が遅い子は相対的に食がすすみません。登園時間が早い子は午前中の活動量が多く、昼食ももりもり食べる姿が見られます。友だちとの会話も自然にはずんでいるように感じます。キャンプに行くと、ふだん食の細い子も、旺盛な食欲を見せてくれます。《食べることは生きること》をもっとも感じる場面です」
なるほど「個食」という言葉に象徴される現代の風潮は、生活リズムの変化と関連がありそうです。家族や友だち、地域や世界との「生き生きしたつながり」という「いのちの根本要素」体験の側面─食の一方の意味─を、私たちの何気ない夜型生活リズムが奪ってしまっているのかもしれませんね。
いっしょに楽しく食べる
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初公開!これが「ハレの日の食事」だ! |
YMCA保育園の食育を支える三人衆 左から西山先生、田村先生、石田先生 |
アレルギー食・離乳食はじめ、子どものいのちを預かり育む保育園では、栄養士と調理師と保育士とがチームワーク良く、本物の「食」体験を子どもたちに提供しようと「食育」に取り組んでいます。そのために《栄養士と調理師は作る人》、《保育士は食べさせる人》という分業は、ここにはありません。
「ここでは、調理師や栄養士も子どもたちと食事をいっしょにとるんですよ。直に子どもたちとふれ合いながら食べている様子や表情を見ることは、食事を作る上でとても大事なことなんです」 家庭でも同じですね。お宅では顔を見ていっしょに食べていますか?と問いかけられたようにも感じました。
「変わらない日常にアクセントをつけるのが『ハレの日』です。《食》においても特別な日をもうけることで、長い目で見たリズムができます」
昔の人は、直感的にそうした「いのちのリズム」を知っていたのかもしれません。ワクワクドキドキが「ハレの日」だとすればYMCA保育園の「ハレの日の献立」は、まさにそのもの─モノクロでは十分にお伝えできないのが残念ですが「やったー!」と躍り上がる子どもたちを彷彿とできるようなメニューであることを、カラー写真で確認した記者が保証します。
半日取材を通じて教えられたことがありました。それは「食べる」ことで人間の「いのち全体」が育つのだな、ということ。YMCA保育園がまさに子どもの「全体」を見つめていることに、大きな感銘を受けたのでした。
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