神戸青年

 神戸青年 2006.5・6月号 目次

  1. 〜2005年度国際協力募金感謝〜
  2. 2006年 定期総会 公示
  3. 省察
  4. 「YMCAキャンプへさあ共に行こう」
  5. 感謝・ご寄付
  6. ソナタ 奏鳴曲 No.22 「人は変わりうる」ということ
  7. 神戸YMCA高等学院 開校5年目を迎えました
  8. 村の子どもたち (タイワークキャンプ)
  9. 第23回タイワークキャンプ報告 (国際協力募金プロジェクト)
  10. バスケットボールの部 優勝!!
  11. PHOTO TOPICS

1. 〜2005年度国際協力募金感謝〜

見つめています ひとつひとつのいのち

2005年度神戸YMCA国際協力募金が2月末をもって終了、580万円以上もの浄財をお寄せいただきました。ご協力をいただきました皆さまに、心よりお礼申しあげます。

YMCA国際協力募金って?
世界に広がるYMCAのネットワークを通じて、地球上のすべての人びとが、国・民族・宗教を超えて平和にいきいきと暮らすことができる世界をつくりだすための国際協力・奉仕活動に使われています。
世界のYMCAが力を合わせて
国際協力は双方向です。95年の阪神・淡路大震災の折りには、世界中のYMCAから協力をいただきました。いま、支援を必要とする人たちの地域でプログラムを展開するYMCAに、私たちも協力しています。
自分の力で解決することのお手伝い
紛争や災害、貧しさの中にある人びと、青年・女性・子どもたちの側に立ち、彼らが自分の力で解決できるようになることを目指し、世界中のYMCAは協力して取り組んでいます。
ひとを育てます
国際協力や教育の場で働くボランティアやスタッフの養成を、世界YMCA同盟、アジア・太平洋YMCA同盟、また行政や他団体とも協力して行っています。
私たちの地域で
神戸YMCAの活動に参加する子どもから大人まで、多くの方々から呼びかけに応じてご協力をいただきました。また、三宮、西宮、学園都市など各地で街頭募金やチャリティーイベントを、会員の皆様のご協力で実施し、募金運動を通じた地域への展開をはかることができました。感謝申しあげます。

なお、次号で2005年度募金使途の詳細なご報告をいたします。

2005年10月のパキスタン大地震の犠牲者は7万人以上と言われています。被害は山間部の都市と村に集中。アクセスの悪さから、救援・支援活動は困難をきわめています。
(写真は、パキスタン・ラホールYMCAが支援する山奥の被災地・バラス村の子どもたち) 写真提供:日本YMCA同盟


パキスタン・ラホールYMCAの大地震救援活動
写真提供:日本YMCA同盟
兵庫エイズフォーラム(2005年7月)で、タイ北部農村地域でのエイズ・プロジェクト報告をするチェンマイYMCAスタッフ、シリパンさん

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2. 2006年 定期総会 公示

2006年5月1日

総会構成員各位

神戸キリスト教青年会

2006年 定期総会 公示
 

本会会則(寄付行為細則)第22条により、下記の通り総会を開催 します。

日時:2006年5月26日(金)18:00〜
場所:神戸YMCAチャペル
議事:

  1. 2005年度事業報告及び収支決算報告の件
  2. 2006年度事業計画及び収支予算承認の件
  3. 役員選任の件

報告・表彰

  1. ボランティア奨励賞
  2. ユースボランティア紹介

尚、総会構成員以外の会員の方にも、YMCAの現状をご理解頂く機会として、ご列席頂ければ幸いです。

以上


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3. 省察

街を歩けば、露天商がいわゆる「偽物」の高級時計や財布を「ヤスイヨ〜 ホンモノトオナジヨ〜」と不思議な日本語で若者に売りつけようとする光景をしばしば目にすることがあるのではないだろうか?◆「本物と同じ?」確かにそこで売られている「本物そっくりに」精巧に似せて作られた時計や財布は我々のような素人の目には「本物とそっくり同じ」ように見える。そして「偽物」であることをまず間違いなく承知した上で(決して許されることではないが)、その商品を買う者がいるのである。◆私たちの日常生活の中には「偽」が溢れかえっており、それはあたかも「本物」そっくりの姿で我々の前に現れ、我々は知ってか知らずか、常に惑わされているのである。◆聖書を紐解くと「偽預言者」や「偽キリスト」に気をつけなさい!という言葉にしばしば出会う。こうした人物はあたかも「ホンモノ」の振りをして人々に近づき誤った道へと人々を誘うのである。◆もちろん決定的な違いはあるのだが、精巧な偽物は限りなく本物に類似する。時として世の中にはそのような「偽キリスト教団体」が出現する。YMCAをはじめ、私たちが関わりを持つすべての十字架を掲げる諸団体が、今後「偽物」の組織とならないように、「聖書のみ言葉を灯として」歩んでいるか、常に繰り返し「省察」していなければならない(さこ田直文)


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4. 「YMCAキャンプへさあ共に行こう」


神戸YMCA 120周年を迎えて(三) 「YMCAキャンプへさあ共に行こう」

神戸YMCAは今年2006年5月8日、創立120周年を迎えます。節目となる今年、『神戸青年』ではその歴史とそれぞれの時代に神戸YMCAがなしてきた働きの核心にあるものをくみ上げ、現在と未来への道しるべをそこに見出したいと考え、「120周年を迎えて」と題してシリーズを展開しています。
第3回の今号では、今日のYMCAキャンプの理念と実際を見ながら、その源流もたどってみましょう。

 YMCAで行っているキャンプは組織キャンプ、あるいは教育キャンプと呼ばれています。
巷では「キャンプ」というと大抵は1泊2日。テントで飯ごう炊さんをし、キャンプファイヤーとあわよくばドラム缶風呂くらいのイメージでしょうか。YMCAのキャンプは違います。
  キャビンにとまり、大抵は自炊しません。また、基本的にわたしたちは1泊2日のプログラムを「キャンプ」とは呼びたくありません。ご存じでしょうが、神戸YMCAの誇る余島の主力キャンプはいまでも長期少年キャンプ(11泊12日)です。その起源は敗戦後の荒みきった社会・そして青少年に対する教育の補角としての働きかけを、と考えた神戸YMCAの主事今井鎮雄がその手段にキャンプを選び、穏やかな瀬戸内の余島(注1)という舞台で、グループワーク理論をその支柱とし、大学生ボランティアリーダー達と始めたキャンプにあります。あたかもその過程は1844年、荒廃した産業革命時代のロンドンで勃興したYMCA運動を彷彿とさせます。

「学び合う場としてのキャンプ」
  さて、YMCAのキャンプは指導者→キャンパーという一方通行の学びではありません。互いに学び合う双方向性が特徴です。指導者もさることながら、「学び合い」の核心は実はキャンパー同士の関係性の中にあります。生活を共にするなかで、次第に明らかになって行くお互いの基本的な生活流儀の差異、それは言い換えれば「異文化」そのものであり、さらにはそこではお互いの「受け取り方の差」、「伝え方の差」、「感じ方の差」が現出してゆきます。それは一般社会のなかではともすれば埋没しがちな「個」と「個」が向き合う瞬間でもあります。これは必ずしも愉快な体験ばかりではありません。受け入れがたい他者の流儀や、開示できない自分への焦り、子どもといえどもある種の葛藤に直面することになります。そこでキャンパーは一歩踏み出すのも自由、とどまるのも自由です。

「共に揺れるリーダー」
  YMCAのリーダーは「保育者」でも「先生」でもありません。どこにでもいそうないま風の大学生です。一般的な考え方からすると「善意は認めるけれど、頼りないのでは?」と思われるのも致し方ないかもしれません。まだ、生き方も、価値観も確立していない彼ら。ともすればすぐに揺れる彼ら。しかし、その「揺れる」姿にキャンパーは心を寄せてゆきます。キャンプ中に葛藤に陥ってしまったキャンパー。彼らに必要なのは「指導」でも「解説」でもありません。いつも一緒にいて、共に揺れてくれるリーダーの存在なのです。私達のように価値観が固定した「揺らがない」大人にはとうていできない業、聖書にある「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(注2)を体現しているのが彼らキャンプカウンセラー(リーダー)なのです。

「自然と出逢い、他者と関わり、自分を発見する」
  キャンプの魅力は自然の中で自然と人間本来が持っているリズムをシンクロ(同調)させることにあります。現代風の言葉で言うと「スローライフ」そのものです。夜が明ければ起きだし、アクティブな活動へ、日暮れと共に静かな活動に移るというゆったりとした時間、栄養バランスのとれた食事、適度な運動と休息が含まれた安全が確保された空間、そして仲間。 それら全ての要素がシンクロした瞬間、そこには化学反応が起こります。そのとき、普段の生活では実感することが難しい「友情」「協力」「奉仕」「信仰」「希望」そして「愛」が現実のものと確信できるのです。 それは 年前に須磨海浜で初めて行われた 神戸YMCAキャンプ(注3)の、今も変わることがない真実です。
  さあ、この夏こそ、少し長いけれどもYMCAキャンプに参加してみませんか?

注1=余島少年キャンプ場 1950年開設 香川県小豆郡土庄町にある。
注2=ローマの信徒への手紙 章 節
注3=『神戸とYMCA百年』164頁

神戸YMCAキャンプの源流

 神戸YMCAのキャンプの源流は、1914年夏に須磨海浜で行われた「天幕事業」(デイキャンプ)であるという記録があります。*『神戸とYMCA百年』164頁、344頁参照。
  太平洋戦争の敗戦後、初のキャンプ事業は神戸電鉄三木沿線の広野で行われた山のキャンプであり、その後は淡路島の松帆の浦等を借用してキャンプを行っていたようです。*『神戸とYMCA百年』344頁参照。
  1950年、余島キャンプ場開設。第一回の余島キャンパーを迎えました。この余島発見のいきさつは『神戸青年』2005年9、10月号の今井鎮雄さん(現神戸YMCA顧問)インタビューに詳しいですが、キャンプにふさわしい場所を捜し小豆島を踏査していた当時若手主事の今井さんが沖合約1kmにある余島を見つけ、手こぎボートを借り渡ったそのときが、余島キャンプ史の起点と言えます。今日、半ば伝説化している逸話です。


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5. 感謝・ご寄付

神戸朝祷会様(4月24日)


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6. ソナタ 奏鳴曲 No.22 「人は変わりうる」ということ 総主事 水野雄二

総主事 水野雄二

 1952年に開校以来、浪人生と共に歩んだ「神戸YMCA大学予備校」が、この3月末にその幕を下ろしました。その間、多くの浪人生の受験指導に大きな成果を上げただけでなく、人生の悩みや家庭の課題まで共に背負い、学生に寄り添う働きがなされてきました。
  私も長く担当し、多くの学生に出会いました。難関大学に進学した学生もいますが、印象に残る学生は皆、失敗をしたり、挫折したり、多くの課題に悩む学生ばかりです。その中に、中学時代に過酷ないじめを受け、不登校になって数年を過ごし、YMCA予備校に来たA君がいました。口数少ない学生で、かつてYMCAキャンプに参加して、リーダーが万事スローな彼を待っていてくれたという体験からYMCAに入学したと伺いました。
ところが、1ヶ月後のある日、A君の母親が血相変えてやってきて、中学時代の苛烈な「いじめっ子」B君が同じクラスに編入してきたというのです。なるほど、現役暴走族を継続していると言ったB君の編入学を許可したばかりでした。数年の時を経て、予備校の教室で、二人はなんとも運命的な再会を果たしたものでした。
  すると、数日後のある雨の日、バスを待つA君の傘の中に、いきなりB君が入ってきて・・・また何か起こるかと思いきや、二人は静かに無言でバスを待っていたというのです。時を経て、お互いに少し大人になって将来を探ろうとしての偶然の再会でありました。かつての「いじめっ子」と「いじめられっ子」。二人が雨傘を共有し、時間を共有した。ただそれだけの話ですが、私には心に残るエピソードでした。その後の二人は予備校を出て、各々の路に進んでいきましたが、「時が人を変える」ということ、「人は変わりうる」ということを痛感した思い出です。
  大学受験という極度のストレスの中で、若い青年たちが自分自身を鍛えてきた「大学予備校」。予備校は閉じられますが、その教育理念とノウハウは他の教育事業に引き継がれて、神戸YMCAの歴史を繋いでいきます。(但し、学園都市校の高校生科は継続しています。)


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7. 神戸YMCA高等学院 開校5年目を迎えました


 神戸YMCA高等学院は2002年4月に開校し『子どもと若者の“いのち”が光り輝くように、これを守り育てます』という神戸YMCAのGOAL2011のミッションに沿った学校教育を展開しています。
  この4月に31名の新入生を迎え、開校時15名でスタートした高等学院も在籍生が1年生24名、2年生17名、3年生26名、合計67名の大きな学校になりました。すでに一期生13名、二期生17名と30名の卒業生を送り出し、大学・短大・専門学校・就職とそれぞれが目標とした進路に進んでいます。生徒数の増加はYMCA学院高等学校(大阪・通信制)の技能連携校として通信制の良い部分と全日制の良い部分を上手に活用したこと、また各教科の教師や職員が、生徒に寄り添いながら日々の学校生活を創り上げていることなどが、地域において社会において認知され、評価されたことが主な理由と考えています。
  この学校の役割は、確実に「高等学校卒業資格を得る」こと。そして、自学自習が中心の通信制では難しい学力を「全日制と少人数制を生かして学力を伸ばす」ことです。また、本校が「総合学科」であることを生かして様々なYMCAらしい選択科目を用意し、社会生活に必要な一般教養を身に付けていきます。そして、学校生活ではYMCAという小さな社会(学園都市会館内でチャイルドケアに来る幼児から小学生、ウエルネスセンターに通う人生の先輩達、そして日本語学校で学ぶ留学生などと同じ施設内で共同社会を築いています)での出会いと交わりを通して「異なる能力や人格を認め、尊重し合える人間関係を学ぶ」ことも大切にしています。
  これからも多くの若者達が求める居場所としての役割を担いつつ、生徒達を次のステップへ送り出す学校として活動を続けて行きます。


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8. 村の子どもたち (タイワークキャンプ)


 第23回タイワークキャンプには、6人の神戸YMCAユースリーダーが参加しました。報告書に西神戸地域活動センターの福岡リーダーが寄せてくれたエッセイには、野外活動などでふだんから子どもに接しているリーダーならではの、優しさと鋭い観察眼があります。ここに転載・ご紹介します。

村の子どもたち 〜in Phamorn Village〜

私たちがタイワークキャンプで出会った、パモーン村の子どもたち。
とても恥ずかしがりで、無邪気で、欲もなく、まっすぐな目をし、笑顔にあふれていた。
出会って間もない頃は、子どもとの距離も遠く、話しかけても『誰この人たち…?』と言わんばかりの警戒した目。でも私たちに興味はあるみたい。素直な子どもたち。
少しずつこちらもオープンに関わると、子どももそれに乗ってくる。単純な子どもたち。
毎朝、学校には子どもたちと一緒に行く。
行きは、お母さんに言われていたのか、ちゃんとした道を歩いて行ったはずなのに、帰りは…道が違うような…?
しかもそれが、遠い。道ではなく畑のど真ん中をどんどん進んでいく。明らかに道じゃないとこも子どもたちにしたら、近道なのかな。
『こっちこっち 』と言わんばかりに、私たちがついて来ているか、ちらちら後ろを見ながら歩く。優しい子どもたち。
学校帰りの子どもたち、急に服を脱ぎだして川にジャブン。とても濁った、日本なら確実に泳ごうとしない川。そんなのお構いなしに泳ぐパモーン村の子どもたち。
なんて自由なのだ。誰も川が汚いからと帰りが遅くなるからと、怒らない。
  満足いくまで泳ぐと、濡れたまま服を着る。すぐに乾くから平気なんだ、と納得する。
  又、急に木に登りはじめる。木の実を採って、口に運ぶ。食べるんだ。美味しいのかな?つたないタイ語で『ギンダーイ?(食べれるの?)』。子どもは『食べてみて』と差し出す。
  食べてみると甘くて美味しい。赤色の実は酸っぱいけど、紫色の実は甘い。子どもはよく知ってる。村の博士のようだ。
ある日の朝、いつもと違う道、子どもたちは、私たちを誘導する。
どこに行くのだろうと付いていく。
すると畑の土のところに鳥の卵を発見。小さな小さな卵。よく見つけたねと感心する間もなく、次は畑の地面にヒナ鳥を発見。まだ目も開いていないくらいの小さなヒナ。手にとって見せてくれる。
子どもたちの目は、いつも何を見ているのだろう。
  どんなに険しい道でも、寄り道し過ぎていても、私は子どもたちと一緒に行き帰りする道が、大好きだった。幸せだった。
日本に帰って母親にパモーン村の子どもたちの話をする。
『お母さんの子どもの頃は、そんな感じで遊んでたよ』と懐かしそうに母親が話す。日本もそんな頃があったんだとしみじみ感じる。
今となっては、YМCAの野外活動のような造られた機会でないと自然と触れ合えない、子ども一人で外に出られない世の中に、日本はなってしまった。
自由に遊べない子どもたち。 こんなことを思うと、村全体に愛されて守られて生きている村の子どもたちは、かけがえのない存在だ。
子どもの幸せ、子どもの笑顔こそ村の財産だ。これからも変わらないでほしいと心から思う。(福岡敦美)


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9. 第23回タイワークキャンプ報告 (国際協力募金プロジェクト)

 「第23回タイワークキャンプ」が3月14日〜26日の12泊13日の日程で行われました。
  雪が降る日本を出発し、 度を超すタイに到着。チェンマイYMCAにて熱烈な歓迎を受け、事前研修を行ったあと、チェンマイ都市部より車で3時間ほどのところにあるチェンマイ県パモーン村に向かいました。村では約1週間ホームステイをしながらワークを行いました。パモーン村は、タイで一番高いインタノン山の中腹、標高1800mほどに位置し、1400名足らずの少数民族「カレン族」の人々が住んでいる村です。地区によっては、ガスはおろか電気も通っていないというところで、目にはいるのは田んぼと山の緑。牛や鶏、豚が自由に歩き回っているような所です。
  チェンマイで研修を受けた日本からの6名、シアトルから 名、タイから9名、ラオスから2名という4カ国の若者達が、村の小学校にコミュニティーセンターを建設するというワークを行い、また様々なフィールドスタディにも参加しました。

みんなで建設したコミュニティーセンター 熱烈な歓迎を受けた入村時

  ワークは、主に地元の大工さんや近隣に住んでいる方々の指導を受けながら建設の手伝いというような関わり方でした。持ち前の大きな体を活かし進んで力仕事を行うアメリカ人を中心としたパワフル隊、疲れたみんなに 時と3時に冷たい飲み物などを作るキッチン部隊、大工さんの指導を受けながら左官業やペンキ仕事を行ったりする作業隊。参加した誰もが、やり方こそ教わりながらであるものの、指示を受けて作業するのではなく、自分ができる「ワーク」を自ら探し選んで行うという関わり方でキャンプは進みました。この一見分業のようでありながらも共に働くことで心を通わせる若者達の姿が印象的なワーク風景でした。単に建物を建てているだけではなく、みんなの心に架け橋をかけているのだと感じました。
  パモーン村での汗と涙にあふれたワークのあとバンコクに移動し、2日間都市部の現状を学びました。スラムの現状視察ではベニヤとトタンで作られた迷路のような中を歩きましたが、あの悪臭と日当たりの悪さ、うつろな目をした若者が外から丸見えの部屋で昼間からぼーっとテレビを見ていた光景が目に焼き付いています。町には高層ビルが建ち並び、その間にあるタイの陰の部分を見てショックを受けました。
  また児童養護施設の見学を行い、高度経済成長で現出した大量消費社会と貧困とのはざまで取り残された子どもたちにも出会いました。さまざまな事情で捨てられたり、物乞いをさせられたりしていた子どもたち。あどけない表情で笑っている子どもの目を見たとき、自分たちにできることは何だろうかと考えざるをえませんでした。
  これから私たちに何ができるのか?誰と共に歩むのか?という問いを突きつけられた旅であったように思います。キャンプは終わりましたが、参加者一人ひとりの新たな歩みが始まりました。
  今回のキャンプでは、多くの方の支えを受け、大きな学び、経験を得ました。ここに感謝を申しあげたいと思います。 (谷川尚)

バンコクのスラム みんな笑顔!!

 


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10. バスケットボールの部 優勝!!

第11回SPORTS INDEX 兵庫大会 (4/23) バスケットボールの部 優勝!!
神戸YMCA学院専門学校女子バスケットボール部
おめでとうございます

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11.PHOTO TOPICS

4/18 神戸YMCA歴史を語る会 4/16 イースター早天礼拝
 
東ティモールYMCA設立に尽力する石橋さん(現地の小学校にて)
4/3 一時帰国した石橋さんから神戸YMCA国際活動委員とスタッフが支援の現状報告を聞きました。

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