神戸青年

 神戸青年 2005.1・2月号 目次

  1. 迎 春
  2. 新春わいわいフォーラム
  3. 神戸YMCA緊急災害救援・支援活動と募金感謝
  4. 省察
  5. 震災10年〜災害(非日常)から見る ボランティアの過去・現在・未来〜
  6. 阪神淡路大震災追悼音楽礼拝
  7. 「大人と子どものための読みきかせの会」in神戸 特別チャリティー公演
  8. この子とわたしのいい関係 〜対話とふれあいをとおして〜 講座報告
  9. 第7回チャリティーラン
  10. キャラクターディベロプメントシリーズJ
  11. PHOTOTOPICS
  12. 第11回チャリティーワイン
  13. 第12回チャリティーゴルフ
  14. 個人消息

1. 迎 春

     
理事長 武田寿子 総主事 水野雄二

 皆様にはご健勝にて新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
 
  神戸YMCAは、2003年度にグランドデザイン「ゴール 2011」をスタートいたしました。子どもと若者の「いのち」が光り輝くように守り育てることを使命として活動を続けておりますが、世界では、また日本の社会でも、その「いのち」が脅かされ、また虐げられている悲しい状況が伝えられています。新しい年におきましては、あらゆる人々の「いのち」が輝く社会であってほしいと願いますが、神戸YMCAはその願いをあらゆる世代の市民が関わり創り出していきたいと願っています。昨年も多くの活動にボランティアやサポーターの皆さんがご支援くださり、恒例のバザーやチャリティーランなどの行事のみならず、各地で起こった水害や地震のための募金活動にもご協力を賜りました。心より感謝申し上げます。
 
  神戸YMCAは来る2006年に創立120周年を迎えます。この間、イエス・キリストに示された愛と奉仕の生き方に学びつつ、それぞれの時代に公正で平和な世界の実現をめざして歩んできました。本年もその歴史を継承しつつ、子どもたちや若者の「いのち」の輝きを求めてこの年の歩みを力強く進めていきたいと思います。
  本年も皆様のご参加とご支援、またご指導をお願い申し上げます。


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2. 新春わいわいフォーラム

わたし自身と大切なあなたに気づく 「私にとってのキャラクターデベロップメント」

2005年1月8日(土) 午後1時〜6時 神戸YMCA館内にて

☆★当日の予定☆★
午後1:00〜2:00 開会礼拝、オリエンテーション
   2:00〜3:00 プレゼンテーション
   3:15〜5:00 分団ディスカッション
   5:00〜5:30 まとめの会  
   5:30〜6:00 ユースからのアピール
    (歌・音楽でのパフォーマンス)

☆★参加お申し込み☆★
TEL:078-241-7201
ホームページからもお申し込みいただけます。
http://www.kobeymca.or.jp/shinshun/
主催:神戸YMCA
共催:ワイズメンズクラブ六甲部

 


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3. 神戸YMCA緊急災害救援・支援活動と募金感謝

  10月30日、台風23号により水害に見舞われた豊岡市と出石町に、神戸YMCAの支援ボランティア隊が向かいました。道路や庭先の泥かきが主なワーク内容でした。
  新潟県中越地震の被災地の小千谷市他では、日本YMCA同盟と横浜YMCAを中心に支援活動が年末まで行われました。
  また、12月25日〜27日、神戸YMCA余島キャンプ場に台風 号被災児童を招待して「余島わくわくキャンプ」が行われました。
  並行して行われた災害救援募金活動にご協力くださいました皆様に、心より感謝申しあげます。皆様からの募金は、上述のようなYMCAの被災者支援プログラムに、また兵庫県台風災害義援金募集委員会を通じての被災者支援に用いられました。


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4. 省察

日本が「高齢化社会」となったのは1970年。24年後の1995年には高齢化が進み「高齢社会」に突入した。2014年には4人に1人が 歳以上の高齢者となる。我が国の高齢化のスピードは先進諸国に比べて極めて早く、十分な準備なしに高齢社会に突入してしまったため、国民の社会生活全ての面で混乱が生じ、特に仕事を終えた高齢者はどのように生活しようかと悩んでいる
竹中星朗(「高齢者の孤独と豊かさ」著者)は「自分の年を重ねることを通して人間や人生を深く、思索するようになった人は多い。年を取ることによって学ぶことが沢山ある。これから年を取るものは高齢者の姿から多くのことを学ぶ、それは人間や人生についての考えを深め人間性を豊かにするはずである。若い人は年を取った人と一緒に生活することで教えられることは多い。」と
また松田道雄(「安楽に死にたい」著者)は「高齢者は、人はいかに生きるべきかを初めて切実に考えなければならない時が来たのだ、この時ほど身についた生き方がものを云うときはない」として、信仰を持っている人、死して名を残す特権的な人を上げている
もちろん一般の高齢者も、何かの役に立ち、やり甲斐を感じ、主体的に残りを生きて行きたい、と望んでいる。周囲が思うより、ときに本人が思うより彼らのSPIRITは若い。その隠された「若きSPIRIT」をいかに引き出しそのニーズにいかに応えるかが、高齢社会におけるYMCAの課題ではないだろうか。 (中山 譲)


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5. 新春座談会 震災10年〜災害(非日常)から見る ボランティアの過去・現在・未来〜

司会者「それぞれお忙しい中、ありがとうございます。今日は震災10年をふり返る座談会ということでお集まりいただきました。」

 
●太西裕二さん
特別養護老人ホーム
オリンピア 生活相談員
●藤井昌子さん
色彩楽園代表
●水野雄二さん
神戸YMCA総主事
●山口徹さん
前神戸YMCA総主事

それぞれのあの日

司会者 「今日は震災10年、災害(非日常)から見るボランティアの過去・現在・未来としまして、あの震災が現在と未来の日常へ向けて何を問いかけているのかを皆さんで語り合いたいと思います。
まず、震災直後の混乱の時そこで何をしたか、何を考えたのか、そしてその後どういう事をやらなきゃいかんと動かれたか、それぞれ個人とYMCA全体をまたぎながら話していただけますか。」

藤井 「10年前、当時私は専門学校で講師をしていたのですが、西宮YMCAと三田YMCAの子どものアートのクラスも担当していました。垂水区に住んでいたものですから、家が全壊とか燃えるとか、そんなことにはならなくて済んだのですが、どうもすごいことになっているようだから家にいました。1日目は自分と家族のことだけ、生活をするためにどうしたらいいのかなと思っていました。」

太西 「私も実家は北区の北鈴蘭台だったので揺れはひどかったのですが、家の被害はほとんどなく棚の上の物が少し落ちた程度でした。最初の1〜2時間は電気が通じず状況が全くわからない。家にじっとしているのが精一杯のことだったのですが、意外に早く電気が通じて8時ぐらいからテレビが復旧し、見ると「なんかすごいことになってるで」と。長田の方がひどい被害を受けていると分かりました。これまで学生リーダーのボランティアで西神戸YMCAでずっとお世話になっていて、YMCA関係の方だけでなく近所の食堂のおじちゃんおばちゃんにも良くしていただいていたので、すごく気にはなりながら、それこそ車は出せないし、電車も通らないし動きがとれない、何人かの長田近辺にいる友人に電話をしてみるんですが電話も通じない。ひたすらテレビで街の様子を見ていたというのが、初日の状況でした。」

水野 「今回の新潟でも、住んでいる町によって運・不運があって、私も神戸の街に住んでいて震源地に一番近い舞子の場所に住んでいたけれどあまり大きな被害はなかった。今も 年前の事を思い出すと痛恨事というか、私は全体がわからなかったんですけど、まず朝一番にYMCAに電話したんです。「状況どう?」って。そしたら「YMCAは大丈夫よ」というのでそれに安心したんですね。「そう。ごめん。そしたらちょっと家のことさせてもらう」って。というのはわが家は1滴も水が出なかったんです。だから水を確保しようとして2日目まで過ごしました。」

山口 「私の家は摩耶ケーブルの近くで、家財がいろいろ上から飛んできたり、ベランダから芦屋の方面に火柱が上がっているのが見えたりしたけれども、あとは何が起こったのか分からず、ネクタイをしてYMCAに行くと、職員の1人が倒壊家屋の下敷きになっているというので助けに行きました。また近くで元理事の方が下敷きになっていると聞き、そちらへも向かいましたが、残念ながら亡くなっていた。すごい火柱が上がって誰かが消防署の人に「こらー消防車、おれんとこの会社と家が燃えとんの知っとんか。水は出えへんのんか。早く消さんかい」などと怒鳴っている傍を抜けて、長田の西神戸YMCAに行ったら体育館の壁が落ちとった。うわーブランチあかんわと思った。そのまま三宮会館に帰って救援本部を立ち上げた。その辺のホワイトボードを外して持ってきて置いて、そこが救援本部になった。でも最初は被害が全然分からへんから、まずしたことは、電話応対です。すぐ「国境なき医師団」から「ペットボトル6千本送ります」と電話があった。また同盟から電話があって「救援本部立ち上げたか?」と。「何考えとんねん。被災地はここやで」と思った。とにかくYMCAに対するいろんな期待にどう答えるかが最初やったですね。」

それぞれの数日後

藤井 「3日目にやっと大人の私がこれだけ怖いのだから、子どもはいったいどうなっているんだろうかと。それで何とか子どもたちのところにクレヨンを持って行きたいな、西宮のアトリエまでたどり着ければ画用紙もあるし何とか行けないかなと思ったのですが、交通が遮断され西宮がものすごく遠くなってて。実は震災前、色彩心理の勉強を始めようとしていました。そこの事務所が東京なんですが、子どものメンタルケアーも目的に子どものアトリエを開いていて、今年はあきらめようかと思ったんですが、ここはやっぱり応援してもらわないといけないと思い直して、東京事務所に電話したんです。すると幸いにも大阪にそういう人達がいるので、できたら是非手伝いたいと言ってくださって。それで代替バスで4時間ぐらいかけて西宮Yに行って、アトリエのロッカーから画用紙と色鉛筆を持ち出して、背負って西宮の平木中学校の避難所に行ったのが、2月5日でした。それから色彩心理を勉強している仲間が集まって、ボランティアの人数も活動場所も増え、避難所やちょっと広い公園など数カ所でしていました。とにかくきちんと毎週、この曜日のこの時間にこのお絵かきさんが来るね。いろんな人が来るんじゃなくて、絶対に同じ人が来るからと子どもたちに約束をして、子どもは来たり来なかったりするんですけど、活動していました。そして気がついたら1年たっていました。そんな感じです。」

太西 「4・5日目でしたか、とにかくじっとしていても仕方がないし、行ってみないと分からないと思ってまずは歩いて長田へ。西神戸YMCAでは関係者のボランティアだけで動き出していた。救援物資が到着したりそれを配ったりし始めているところでした。最初は何の考えもなしでしたが、ディレクターから「君はボランティア担当な」と言われて次の日からそこでの活動が始まった。長田の街は全然風景が変わっていました。家がなくなって向こうが見渡せてしまう、大半が火事で焼けてしまってまだ焦げ臭い匂いが残るといった中で、知り合いの方も被災して亡くなったりしている。、何かしら活動の助けになりたいというのがあってそこでとどまってやり出した。最初は家も何もかもすべて失くしている方がいっぱいいる中で活動が始まったこともあり、「とにかく足りないものを届けないと」ということが思いの中にあって、何が足りないのか、何が必要とされているのかをまず知らないといけない。実際にはそれぞれの生活の中で違っていて、何を届けたらいいのかというのが最初に当たった壁というか悩んだところでした。とにかく水と食料が一番でそれを配り始めるという活動に加わった。最初はYMCAの関係者ばかりだったけれど、日を追うごとに一般の人も来られたり、救援物資もYMCAとは全然関係ない団体から送っていただいたりしました。」

水野 「初めてYMCAに来たのは3日目です。来たとたん「国境なき医師団」のペットボトルが届いて。あとは安否確認に留学生を訪ねて避難所に行ったりとか。自分も被災者だし、状況はわからないし、本当に適切な行動がとれたのかなと今になって思います。毎年この時期になると自責の念にかられます。NGOの救援本部立ち上げで、私は事務局次長。受け入れ体制としてある種の組織を作って西日本のYMCAの援助を受ける中で東は西宮YMCA、西は長田の西神戸YMCA、組織がいち早く出来たのは非常に良かった。最初2週間はずっとそこで、あっちこっちの他の被災地を全然見てないんですよ。ずっと本部で救援物資の調達、電話をする係をしていました。それとボランティア受け入れ。救援物資についてはYMCAのネットワークで大概のものが手に入りました。今はっきり覚えているのは線香を欲しいと言われたこと。避難所が遺体安置所と一緒で匂いがするでしょ。だから京都Yに電話したら大量にやってきてね、線香ばかり。チャペル前の入り口にどんと積んであった。」

山口 「3日目に最初に神戸市役所へ行ったけれど、市役所はもうパニック状態で誰も話ができない。それで県に行った。そこも体制ができていない。そこで行政に頼っても仕方がないので自分たちでしようということになって、当時の日本基督教団議長の北里さんと、「国境なき医師団」とYMCAとでPHD協会の草地さん(故人)がNGOを立ち上げた(注1)。1月 日だった。その後はNGOの参画団体として行動するあり方と、日常活動の延長上のあり方とで、YMCAに出来ることはいっぱいあった。あの時、西神戸YMCAは日常性の延長として長田区役所との連携が普段からあり、西宮YMCAの館長は大阪YMCAから来てもらって1年目だったから、大阪Yのスタッフが応援に来たとき指示がしやすかったのがある。だからご覧のようにあれだけできた。」

ボランティアを動かすもの

水野 「ボランティアの受け入れについては、最初の頃いっぱい来るでしょ。「何でここにいらっしゃったのですか」と聞くと市役所にボランティアはYMCAに行けと言われたと。あるボランティアに聞くと「会社と喧嘩してきたんです。」というわけね。「私は神戸に行かないといけない」と思ったけれど会社の人は「おまえ仕事はどうするんや」と言われて止められたんだけど、会社をやめてもいいから喧嘩して来ましたというわけ。それもどうかなと思ったけど、気持ちは分からないでもない。そんなふうに心を動かされて来たというのが多かったですね。」

太西 「難しいところやと思うんです。たまたま私は、当時非常勤で神戸YMCAに雇っていただいてここで働いていたからこそ、すんなり救援活動に入れたと思うんです。違う仕事をしていたらどうかなと思うと、そこまでできたかというのは分からない。ボランティアというのはある程度自分の基盤ができないとできない部分もあると思いますし、気持ちはあっても実際行動に移せたかどうか・・」
司会者「皆さんが3日目ぐらいに動き始められた気持ちは、どこから来たのでしょう。」

藤井 「どこから来たのか分からない。この 年ずっと聞かれてるけれども分からない。ただ「あー子どもが危ない」と思った。最初に西宮Yのスタッフが電話してきてくれたのは「先生のアトリエのクラスの子どもは無事です」とわりと早かったです。それを聞くと私の意識は避難所の子どもたちに向きましたね。アトリエだけは早く再開した方が子どもたちにとっても良いので、その辺はなんとか頑張りましたけど。」

太西 「私の場合は長田近辺に4・5年もいたので、うどん屋は大丈夫かなとか、あそこの人はどうしているのかなというのがまず最初だった。だから何か手伝いをしなきゃというよりもその人たちはどうしているのかなという意識が一番ですね。行ってみないとわからない。そして行ってみてああ大変なんだというのがわかった。動き出したきっかけは「あの人は大丈夫かな」というごくごく個人的なものだった。」

山口 「それで良いのじゃないのかな。自分、家族、親しい友達が無事だったと聞き安心して、では他の人はどうかと思う気持ち。」

藤井「自分と家族が助かっていて、命があるから動けるということですよね。」

水野 「私もね、水が一滴も出ない状況だったから四方八方で水を確保した。どこにもちょっとしかないんですよ。明石に住んでいる職員から衣装ケースに1杯水をもらってきて。水って重いですよねー。水がこんなに重いということに気が付いた。家に持って帰って、これで何日かは大丈夫。これですぐYMCAに行った。だから、家の安心を確保しないと続けて何もできなかった。」

山口 「そのことがないと次の行動が不安定ですね。まず生命と安全。それから気持ち。また人それぞれレベルがありますが、状況が許すこと。」

藤井 「ある程度整わないと動けない。家にいる母とけんかしたのは「あんた、人のことばかり助けて家族のことも考えなさい。」と言われ、それはよく覚えてるんです。」

水野 「そうした方々のボランタリーな結集が有り難かったし、周りのYのサポートもとても有り難かった。神戸Yだけではおそらくこんなにはできなかっただろうと思います。」

情報の発信を

山口 「情報収集を、どれだけ早く適切にするかが大切だろうね。あの日礼拝の日だったから僕、ネクタイ締めて出てたもんねえ。」

藤井 「分からないですよね、最初は。テレビ映らないからね。横尾にいた知人から長田が大火事やぞと教えられたんです」

山口 「逆にどう情報を発信していくかということも、ものすごく大事だと思う。2月初旬、総主事会議が大阪であった。三田周りで行った大阪では、みんなネクタイをしていて赤提灯がついとる。何や、と気分悪くなりそうで、そういうのを帰って家族に言うと「三陸はるか沖地震あったでしょ。そのときあんた何したん?」と言われて。実際経験してみないと分からないものだと。大事なことは現場から、神戸から何を発信するかということやね。よその地域の人から「ラーメン500食持って行きますから水とプロパン用意して下さい。」と言ってこられて、怒ったこともある。そういう理解で来られるということは、情報発信が案外できていなかったと思う。」

水野  「それは、私達のボランティア受付でもありましたよ。食べるものと寝るところを用意してくることは今では当たり前ですが、 年前は当たり前ではなかった。あの頃はボランティアの世話も現地に期待するみたいなことがありました。「泊まるところを用意してもらえますか」とか。そういうのはあの 年前の震災でボランティアの意識が変わった。あの時の神戸からの発信が今に生きているものはある。」

藤井 「ものを集めるのは大変でしたけど、西宮YMCAがキーステーションみたいになっていたので、いろんなところから物資の調達はできた。やはり理解の差が大きくそんなに被害を受けてない人は分からないんですよ。「もう画用紙がありません。」と平気で言ったり。子どものメンタルケアーという目に見えないものを避難所でさせてもらうのも、当初はメンタルなケアーが必要という情報が避難所に届いていないので、難しかった。」

コーディネーターの存在が、ボランティア受け入れの基盤

山口 「一般のボランティアに比べてYMCAスタッフがやはりプロだと思わされたのは、オリエンテーションがしっかりしていること。何かものを運ぶだけでなく、今はこういう状況です、ですからこのためにこれをやるのです、ということをきっちり話して、心をいかに運ぶかを伝えている。あれは大きかったですね。行って、おばあちゃんにしばらく話相手をしながら時間をかけて心を伝える。それが出来たというのは、日常のキャンプで、ただ面白おかしくやっているだけではなくて、1人ひとりのプログラムに対して何のためにこれをやるのか、ということを徹底して確認している延長上にある。日常のYMCA活動の中に、非常時のモデルがあった。(注2)スキーキャンプのゼッケンを使ったのも、日常の援用の一種だけど、いつからだったかな?あれは責任の所在をはっきりさせるのに大きかったですね。」

水野 「ニーズも日によってどんどん変わっていきました。最初は水と食料だけだったけれど。」

藤井 「ボランティアをやっている人はあんまり被災してないというイメージはあったかも。学校なんか一番大変でね、やはりよその人を入れたくないというか、とにかく早く外に出て行ってくれと思っている。」

水野 「今回の新潟の地域でもね、ボランティアに対する受け入れが街によって全然違いますね。一切ボランティアは締め出すというか来てほしくないというところもあるし、言うことを聞くボランティアは来て欲しいけど、うるさいボランティア・コーディネーターはいらないとかね。ボランティア受け入れの組織がきちっとできている町とそうでない町と両極端のようです。」(座談会は次号へ続きます)

(注1)震災を契機に新たなNGOやNPO活動が形成されていく過程で、神戸YMCAがその孵卵器的な役割を一定以上果たしたことは間違いない。救援・支援の最前線での活動と同時に、専門的NGOの立ち上げに参画し、前線の活動をそこに譲って自らは日常の教育活動へ戻りつつ、ネットワーキング的な関わりを残していくというあり方は、きわめてYMCA的である。

(注2)プロのディレクターやコーディネーターと、アマチュアのボランティアとが協働するというボランティア活動におけるモデル。日常のノウハウを非常時に援用する、関東大震災時の救援活動以来の伝統が生きたと言える。


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6. 阪神淡路大震災追悼音楽礼拝

*様々な音楽とともに、あのときを振り返り、静かに祈りの時を持ちませんか。

日時:2005年1月19日(水)18:30〜20:30
場所:日本キリスト教団神戸栄光教会
入場料無料(当日献金をお願いします)


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7. 「大人と子どものための読みきかせの会」in神戸 特別チャリティー公演


*「大型絵本」「音楽」「朗読」(女優 中井貴恵さん)で作り上げられる絵本の世界を通じて、大人も子どもも、ゆったりとした時間を過ごしませんか。
   第1部:「1000の風 1000のチェロ」
   第2部:「おおきなかぶ」

日時:2005年3月13日(日)13:30〜15:30
場所:兵庫県民小劇場(地下鉄「県庁前」)
入場料:大人1,000円、子ども(4歳以上)500円  障がい児・者無料
入場申込:1月24日より往復葉書にて先着順受付
お問い合せ「大人と子どものための読み聞かせの会」in神戸実行委員会(Tel 078-241-7201 神戸YMCA永井)


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8. この子とわたしのいい関係 〜対話とふれあいをとおして〜 講座報告

   
  10月16日〜23日の土曜日、「子どもの対話・ふれあい」をキーワードに地域活動推進講座の助成を受けて神戸YMCA・YWCAの合同企画のもと上記の講座が開催された。テーマは「育てること・育てられること」「おもちゃで遊ぼう」「こころを通わすわらべ唄」「子ども達のいのちが輝くために」「育ちあい、あなたらしく」と現代をとりまく環境をみつめるべく、具体的なワークショップ、おもちゃやわらべ歌の遊び方の実践、パワーポイントでの学校現場での性教育などの実践例を交え、概論から実践に結びつくヒントを提示して頂き、楽しい学びの場となった。
  参加者は当の母親だけでなく、保育者や子育てをサポートする役割を担う世代まで幅広く、毎回30名を数え、その中で「親は子育て勉強中である。」「子どもとのふれあいや他の母親とのふれあいの中で、お互いの自分の位置を確認しながら相互に成長してゆくものだ。」という視点を与えられた。「いのち輝く子どもたちの成長」のために今後もこのような企画を継続して実施してゆきたい。

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9. 第7回チャリティーラン

   
グループラン・ペアラン出発 小学生駅伝のひとこま 閉会式

 11月3日、第7回神戸YMCAチャリティーランが神戸市北区の「しあわせの村」で開催されました。小学生駅伝、ペアラン、グループラン、駅伝を行い、162組646名の参加者、400名のボランティア、約300名の観衆、合計1346名が集い、秋晴れのもと楽しい一日を過ごすことができました。
大会委員長のチャック・ウイルソン氏も参加し、「今日はたくさんの笑顔に出会いましょう!」と開会宣言され、満面の笑顔でランナーを応援して下さいました。競技と一緒に、ワイズメンズクラブやボランティアリーダー会をはじめ、多くのボランティアによる出店コーナーや音楽演奏もあり、参加者だけでなくボランティアも皆が楽しめる一日となりました。今年も「ネスレジャパングループ」が全国YMCAのチャリティーランを支えてくださり協賛として立派なゴールゲートや参加賞等を提供いただきました。皆さんステキな笑顔をありがとうございました。(チャリティーラン支援金額は次号でご報告いたします)


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10. キャラクターディベロプメントシリーズJ






上と下の絵でちがうところが、ぜんぶで20こあるよ。おうちの人といっしょにさがしてみてね。今年はちょっとむずかしいよ。


 

 

 

 


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11. PHOTOTOPICS

10/30LDサポートプログラム10周年講演会 11/8ホテル学科40周年記念会 11/23 3ちゃん水泳大会
11/20くさぶえコーラス20周年コンサート 11/21ジュニア体操大会 11/22チャリティーコンサート
   
日・中・韓子ども平和絵画展    

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12. 第11回チャリティーワイン

日時:2月19日(土)18:00
場所:神戸サイコー亭 (神戸YMCA4階)
参加費:\5,000
お問い合わせ:神戸YMCAカレッジ 078-241-7204
*12/10の会が上記日程に延期になっています。

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13. 第12回チャリティーゴルフ

月日:4月26日(火)
場所:千刈カンツリー倶楽部
会費:お一人様\20,000
お問い合わせ:神戸YMCAカレッジ 078-241-7204

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14. 個 人 消 息

 ■ご結婚■おめでとうございます
  前野あゆみさん(YMCA保育園)11/7
  中塩屋勝也さんと
  ■ご逝去■謹んでお悔やみ申し上げます
  濱浩一さん(評議員)の御尊父様9/17
  山口知さん(山口政紀理事ご令室)10/31
  熊谷郁子さん(会員増強委員)のご尊父様11/5
  吉本尚加さん(ウエルネス学園都市 嘱託職員)ご祖母様12/4
  児玉浩次郎さん(名誉会員、元神戸教会牧師)12/7
  ■退職■おつかれさまでした
  谷川友子さん(西神戸地域活動センター職員)10/31
  河井祥子さん(西神戸幼稚園 職員・定年退職)12/31
  日吉麻理子さん(ウエルネス三宮 嘱託職員)12/31
  ■採用■よろしくお願いします
  佐藤香菜子さん(ウエルネス三宮 嘱託職員)12/1

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